教授からのご挨拶

私たちはなぜ、サイエンティストを目指すのか?

私の父(寺田建比古)は哲学者で、「哲学でこの大宇宙の原理を解明する」という壮大な夢を実現しようとした人物でした。さらに、ラテン語、ギリシャ語、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、ロシア語を自在に使える幅広い言語能力を持っていました。「学問とは、この大宇宙の中でで自分が位置している場所がどこなのか、今、自分がいる一点を大宇宙の大きな座標軸から明確に示すことができること」というのが父の言葉でした。父は、プラトンから全ての近代ヨーロッパ哲学まで遍く渉猟し、人類は一体どこから来て、一体どこへ行こうとしているのかを明らかにしようとした学者でした。 シュペングラーの「西洋の没落」とともに、なぜ、ヨーロッパ文明が急速に崩壊する運命にあったのか、2000年のパースペクティブの中でヨーロッパ文明の予定調和の崩壊を哲学史から解明しようとした学者でした。→ Facebook

ほとんど24時間、そのことばかりを考えそのため世の中のことには全く関心がなく社会との折り合いをつけることができないようなタイプの学者でした。息子からいうのはとても恥ずかしいのですが、本当に父は天才的な哲学者でした。

私は中学1年生の頃から、ニーチェやハイデッガー、キルケゴールなど、大学の講義と同じ内容を父親から一対一で講義を受けて、当時、自転車や釣り、バッハ、ギター、ヘルマン・ヘッセに夢中になっていた中学生の私にとっては1秒でも早く逃げ出したいくらい長い、長い忍耐を要する苦痛の講義でした。父は、これから地表を破り伸びようとする、つくしんぼうのような小さな私の頭の上に被さった重すぎる鉛のような存在で、少年にとって逃げ出したい毎日でした。しかし、幸い、父のような才能が私には全くなかったので哲学や文学の道へは進まなかったのですが、「大宇宙の統一的な原理を追求したい、生命はなぜ、この大宇宙に誕生したのか」という強い知的好奇心は父から自然と譲り受けました。

高校生の頃、1978年にノーベル物理学賞を受賞したペンジアスとウィルソンによる宇宙マイクロ波背景放射の発見を知って腰が抜けるくらい、心が張り裂けるぐらい驚愕しました (「大見当識」とパンセ ) 。宇宙誕生直後の「最古の光」が138億年後の拡大する宇宙全域に拡散し、彼らはその残響を受信していたのです。この大宇宙の開闢の音を彼らは偶然、受信していたのです。この大宇宙の開闢の壮大な音(Big Bang)を捉えた彼らの発見は、この宇宙には、始まりと終わりがあるのだということを、高校生の私の心にもしっかりと焼き付けました。どの様にしてこの大宇宙ができたのか、私たち生命はなぜ、この大宇宙に存在しているのか、高校生の想像力をはるかに超えた大発見でした。そして、大学に入りシュレディンガーの波動方程式を知り、マクロの宇宙と真逆の超ミクロの宇宙を計算で再構成するというシュレディンガーの天才的な才能に心から感動しました。ミクロの世界は大宇宙 のマクロの世界に通じていることを彼ら天才的な物理学者を通じて肌で実感しました( シュレディンガーの「生命とは何か」)。


白いセーターの大学院生が当時の私

学生には本当に大迷惑だと半分以上は分かっているのですが、高校生の頃のように天才物理学者が好きすぎて、基礎科学の私の講義はついつい暴走してしまいます。シュレディンガーまでは、まあ、よいのですが、ローレンツ対称性を加えたディラック方程式に、ゲージ対称性を導入したローバート・オッペン ハイマー、オッペンハイマーの数式では全ての素粒子に重力がなくなってしまうことから宇宙の存在の矛盾(宇宙がそもそも存在しなくなる)を生むのに、ではなぜ重力があるのか?だから、南部陽一郎が発見した、自発的対称性の破れから対称性の破れが重力を生む。ヒッグス粒子が素粒子に重力を与えるスティーブン・ワインバーグ。ヒッグス粒子の検出に成功したピーター・ヒッグスによる研究の話まで夢中で暴走してしまいます。いつも授業アンケートでは、「寺田教授の講義はわけわからん!」という学生のクレームが多いので、最近は、ちょっと暴走は控えていますが、でも、私はこの大宇宙と生命が生まれた大原理を知りたい、これこそが私が学問を志した単純な動機でした。

しかし、哲学や宇宙物理学に対して好奇心旺盛な私が最終的に目指した、思いがけぬ方向は分子生物学でした。大学1年生の時、父が、がんになり(膵臓がんで死去)、父を治療するにはどのようにすれば良いのか、毎日、真剣に考え、他大学の医学部や理学部の講義を聴講し、化学や物理の世界から次第に生命科学の世界へ魅了されました。その頃、初めて分子生物学という生まれたての学問分野を知りました。また、大学の単位を取り、成績優秀な学生になるというつまらない目標ではなく、自分の好きな学問を自由自在に他大学で偽学生として勝手に聴講することの方がはるかに私にとっては知的好奇心を満たしてく れる貴重な経験でした。他大学の聴講は、つまらない大学の授業を抜け出して早稲田松竹で朝から晩まで4本連続で黒澤などの名画を見ることに十分匹敵しました。しかも、映画料金は一銭も払わなくても偽学生だから聴講は無料!好きな講義を自由に聴講し放題。講義がつまらないと思えばこちらから聴講をストップできるので時間の無駄もない。昔はこういうことが許された時代だったのです。大学の枠を超えて好きな学問を探求しようというのが当時の私の姿勢でした。しかし、このような自由な講義こそが大学のあるべき姿だと私は思うのです。

憧れの利根川先生と私

しかし、宇宙の大原理と生命の本質と統一原理を追求したいという私にとって、当時の生命科学の研究分野はあまりにも泥臭い(統一原理が見えにくい)世界でした。ところが、 私を当時、驚愕させたのは、100年間の最大の謎である、抗体の多様性の仕組みを見事に解明し日本人として最初にノーベル生理学医学賞に輝いた利根川 進博士(MIT)でした。分子生物学とは、なんだか訳のわからない生命という存在を、正確に解明する上で不可欠の学問であることが私のような凡庸な学生にもようやくわかりました。生命の営みが精密に制御されているのが、分子生物学という手法を使えば正確に解明することができることに心から驚きました。そして、なぜ、生命はこの宇宙に生まれてきたのか?なぜ、生命は死ぬ様に遺伝的にプログラミングされているのか?分子生物学を使って生命の最大の謎を解明することができるのではないか?これが分子生物学を目指した私の学問的な動機です。宇宙の大原理を解明することはできなくても、生命の大原理を分子生物学で解明できるはずだというのが私の研究の最初の動機なのです。


大宇宙のマクロの大構造から、細胞という超ミクロの世界へ

 2014年、大宇宙のマップを作る国際プロジェクトで、私たちのLaniakea超銀河団と隣のPerseus-Piscesの構造が明らかになりました。私たちの天の川銀河は、他の30個の銀河とともに、おとめ座銀河団を構成し、銀河団をそれぞれ宇宙の中でマップすると、まるで髪の毛のような構造をとり、この髪の毛に沿って中心に集中するのです。さらに驚くべきことに、このLaniakea超銀河団の中心にグレートアトラクターと呼ばれる巨大ブラックホールが存在し、髪の毛のラインに沿ってそれぞれの銀河団がグレートアトラクターへ驚くべきスピード(640km/s)で引き寄せられているのだそうです。さらに、隣接するPerseus-Pisces超銀河団とシンメトリックの構造をしています。これは、まさに、私たちが日々研究している超ミクロの紡錘体構造とそっくりなのです。超銀河団が染色体、銀河団から構成される髪の毛のような構造が微小管、グレートアトラクターと呼ばれる巨大ブラックホールが紡錘体極のようで、染色体は微小管に牽引され急速に紡錘体極へ引き寄せられますが、シンメトリックな構造になっているので二つの紡錘体極へ分配されます。2014年の論文を読んだ時、自分が少年の頃、目指した宇宙物理学の超マクロの大構造と、分子生物学の超ミクロの世界が非常に近いことを実感し鳥肌が立つ程、驚きました。

私たちはなぜ、日々、研究をするのか、大金を儲けたいとか、なにかの名誉を得たいとか、そんなことは全く関心ありません。どうでもいいつまらないことなのです。私は小学生の頃から宇宙大作戦(スタートレック)のTV番組と手塚治虫の漫画のコアなファンでした。私たちの研究室は、例えてみれば宇宙大作戦のような小さな宇宙船に研究員と学生が搭乗し、人類が誰も訪れたことがない宇宙のフロンティアまで航海しそこで発見した驚くべき現象を、バイアスを一切加えずにスタッフや学生たちと正確にスケッチして地球の人々に送り届けること、これができることが私たちサイエンティストとしての責務と使命、そして矜恃であると考えています。自然科学のファクトを追求する科学者は、画家で言えば正確に対象を描写できるデッサン能力を必要とします。しかし、デッサン能力がない画家ほど、稀有壮大な、そこに全く存在しない魅力的で夢想的な絵を描きたくなるものです。しかし、それは芸術でもなければ科学でもありません。特に科学者はこの誘惑に対してきっぱりと拒絶しなければなりません。ゴッホもモネもピカソも、若い頃、正確なデッサン能力を磨いた上で独自の画風を身につけ一流の画家になったのです。私は凡庸なので彼らのような一流の画家レベルでは到底ありませんが、せめて正確なデッサン能力を磨いてサイエンスのファクトをわかりやすく正確に皆様に伝えたいと考えています。これが私たちサイエンティストとしての研究に対する基本的な姿勢です。


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