先生のコラム

分子生物学の黎明期から20世紀を駆け抜けた知の巨人・シドニー・ブレナー先生

 私は根が図太い性格なので、人前であまり緊張することはない性格なのだが、相手がシドニー・ブレナー先生だと聞いて体中ががちがちになってしまった。
 私が30代半ば、まだ駆け出しの頃だ。
 ひょんなことから、シドニー・ブレナー先生と、当時、日本のゲノムプロジェクトのリーダーであった松原謙一先生と、3人で大阪の寿司屋でご一緒させていただく貴重な経験をした。
 ブレナー先生は、ただのノーベル賞受賞者なんてものじゃない。業績から言えば、3つくらいノーベル賞を受賞してもおかしくない歴史上の科学者だ。
 1960年前後の分子生物学の黎明期にDNAの遺伝情報が蛋白質へ伝達される中間にmRNAが存在することを証明した。
 DNAの3つのヌクレオチドによって、アミノ酸情報へ翻訳されるトリプレットコドンの概念を発見し、さらに、線虫をモデル生物として用いた動物の発生研究を樹立し神経系形成の過程を詳細に解き明かした。
ゲノムプロジェクトを立ち上げ、多細胞生物のゲノミクスの先駆け的な仕事をして、これがアポロ計画の次のアメリカの国家プロジェクトとなるヒト・ゲノムプロジェクトの礎になった。
 当時、ポール・ナース先生から、貴重なアドバイスをいただいてNature誌に掲載された私の論文と、Nature論文の引用回数を突破したAurora-B遺伝子の発見論文を差し上げ、ナース先生の人柄と博識を讃えたところ、ブレナー先生は、ナース先生がいかに優れた研究者であるかを、私にも分かるようなゆっくり、優しい英語で語ってくださった。彼の予言通り、数年後にナース先生はノーベル賞を受賞された。
 フランシス・クリックとトリプレットコドンの謎を夢中で解き明かしていた頃は、毎日が興奮の日々だったという。
ところが、キャンパス・バスの中でたまたま自分の後ろに乗り合わせたケンブリッジ大学の学生が、試験のためにコドン・ユーセージを丸暗記して復唱しているのを聞いて、自分が大学時代、解剖学の試験のために複雑な三叉神経回路の図を徹夜で丸暗記したのを思い出してぞっとしたと大笑いされた。
 シドニー・ブレナー先生、凄まじく該博でこれほどまでの知的好奇心のある人に私はこれまで会ったことがない。
人生で、自分が尊敬する人と出会うことができることがどれほど大切なことなのか実感した貴重な時間だった。