先生のコラム

張力センサーとは一体、何なのか?:生命科学最大の問題の一つ


まずは、細胞が分裂期(M期)で染色体を正確にに分配する様子(動画)を見てください。橙色の紐状のものが、微小管です。真ん中の緑色の2つのドットが動原体です。そして提灯のような全体の構造が紡錘体 で、紡錘体の外側の2つの緑色のドットが紡錘体極(中心体)です。2つの紡錘体極から伸長した微小管が動原体を捉えると、赤道面上に染色体が整列し分 裂期の中期になり、影状の姉妹染色分体が赤道面上に整列するのがわかります。微小管が反対側にグイグイと姉妹染色分体を引っ張る様子がわかります。そ して、すべての染色体が赤道面上に整列すると、いっせいに姉妹染色分体は2つに分離して両極へ分配されます。しかし、1個の染色体が、張力がかからず 整列できなければ中期で染色体分配は停止してしまいますが、この微小管に外部から力を加えて張力をかけると後期がスタートします。逆に、染色体整列が 成立した中期の細胞の微小管を切断すると中期の停止が起きます。張力を感知する何らかのシステムがあるのではないかという発見は、歴史的には昆虫の精 母細胞を用いた実験で明らかになりました。分裂期において染色体整列がされず張力がかかってない染色体に、微細なガラス針を用いて外部から張力をかけ ると後期が開始するようになるという古典的な実験からです。


ヒトの46本の姉妹染色分体の全てに張力が加わると、染色体を束ねるcohesinと呼ばれる輪っかのようなタンパク質が切断されていっせいに分配 されます。しかし、たった1個の姉妹染色分体に十分な張力が働かなければ、SAC(Spindle Assembly Checkpoint:紡錘体チェックポイント)と呼ばれる停止シグナルが発信されて、46本の染色体の分配は中期で停止します。このSACの驚くべきシステムを見つけた のが天才・Andrewです。姉妹染色分体には張力をモニターする”張力センサー”があるのではないか?と考えられていましたが、どのようなメカニズ ムで張力をモニターしているのかは全くの謎でした。

AndrewのHarvard大学での講演で「染色体分配には、張力センサーが機能しているがどのような分子メカニズムであるのかは全くわかってい ない、これを解明することは生命科学の分野ではとても重要な研究だ」ということを初めて教わりました。「世界のトップクラスの研究者は凡庸な私と違っ て流石に現象の裏に潜む大きな原理を追求しているなあ」と深く感心させられました。しかし、2000年に発表されたAndrewの論文を読んで腰が抜 けるほど驚愕しました。それは寺田研で最初に発表されたAurora B/AIM-1(EMBO J, 1998)が張力センサーの本体であることを遺伝学的に証明した素晴らしい論文だったのです。しかも、Aurora Bが誤った微小管接着を正しい二方向性結合に修正する中心的なキナーゼだったのです。さらに、張力がかからない時に、SACを活性化する司令塔でもあることも後の研究から わかりました。すなわち、張力がかからない時に、張力センサーとして低い張力の状態をモニターし、一旦、SACを活性化させて、先に染色体の分配が起 きないようにブレーキをかけ46本のすべての染色体に張力がかかるまで停止し続けながら、同時に、誤った微小管接着を修正して、中期ですべての染色体 がスタートラインに整列すると、SACを解除し後期でいっせいに染色体の分離を行うというトンデモない超天才的な酵素であることが明らかになりまし た。

実は、1991年のAndrewの論文に触発されて、同じ酵母でやっても勝ち目がないので、動物細胞のcheckpointに関連する遺伝子スク リーニングの過程で1996年に見つけたのがAurora B/AIM1だったのです。動物細胞のChk1や2のクローニングにも1994-5年に成功していたのですが、こちらは競争に負けてしまい、新たにSACのスクリーニング で出芽酵母にgal1のプロモーターのもとで発現させて強力に分裂期停止をする哺乳類の遺伝子としてAurora Bを発見しました。しかし、多くの研究者が血眼で探していたものがAurora Bだったのですが、寺田研が最初に発見したにも関わらず、当時、学問的な文脈(context)を全く読めず、Aurora Bの機能をちゃんと捉えて論文にできなかった自分の間抜けさと無能さにとても落胆しました。そこから、張力センサーの分子機構解明を目指した、私たちの長い、長い迷路のよ うな研究の旅が続きました。毎日のようにこの大命題を考え続けました。入学試験では最も簡単な問題から解答せよというのが鉄則ですが、もう簡単な問題 から解くつまらない研究生活は止めにして最も難しい問題だけにトライしようと研究の方向を180度変えました。そして、20年近い歳月を経てようやく 私たちなりに満足できる張力センサーの分子機構を解明することができました。Aurora B/AIM-1の発見からスタートした寺田研のライフワークの半分が23年間かけてようやく達成されました。幸いなことに、驚くほどキラキラと輝くような知的好奇心をいっ ぱい持った寺田研のトップクラスの大学院生たちが集結し、この張力センサーの不思議さと重要さを認識し、この難しい問題を私といっしょに解決してくれ ました。「終電に間に合わないからもう早く帰りなさい」と教授からうるさく言われながらも「このデータではまだ満足できません」と実験にかじりついて 正確な研究を行った、彼ら、彼女たちのとてつもない努力の上に長年の大きな謎と私を悩ませた問題が解明できました。世界にとっては小さな論文かもしれ ませんが私たちが最初にAurora Bを発見した論文と並ぶくらい、世界に貢献できるのではないかと心の底で静かに自負しています。全てのデータに関して驚くほどの時間を費やし、ディスカッションを彼ら彼女 たちと行い、100%確信を持った上での論文です。もっともっと早く発表したかったのですが様々な障害を経てようやく陽の目を見ました。

このプロジェクトに参加した、彼ら、彼女たちに対して心から誇りに思うとともに、精神的に、そして経済的に支えていただいた、ご両親に対しても心か ら感謝します。本当に長い間ありがとうございました。