先生のコラム

「2050年の鉄腕アトム:未来図を描け」


1990年代、バブルが崩壊し、失われた10年がいつのまにか、15年となり、さらに20年となった。僕たちの昭和の世代は、日本は右肩上がり、頑 張れば頑張るほど、努力が報われた時代でした。


それに比べて平成に育った皆さんは生まれて以来、常に右肩下がりの世代、一度も成功体験がない。


平均年俸は20年前に比べて50万円も低下している。


この間、アメリカでさえ所得は2.5倍に倍増した。



司馬遼太郎の作品に、「坂の上の雲」という名作があります。


日露戦争勝利に至るまでの、日本の近代化を描いた歴史小説ですが、


僕たちの世代は、日本の未来に、文字通り「坂の上の雲」を描いて、


それを理想として、それぞれが額に汗して頑張ってきました。



1991年「電子立国日本の自叙伝」というNHKの番組が僕は大好きだった。


これは、まさに昭和の日本の産業界の「坂の上の雲」だと考えています。



日本の高度成長期の半導体産業の興亡、その中で試行錯誤する研究者や開発者の苦闘をリアルに描いた番組だった。


1971年インテルがD-RAMと呼ばれる半導体を開発し、日本のメーカーが1988年に世界の半導体の8割のシェアを握り世界を制覇した。


しかし、皮肉なことに、この番組が放送された1991年こそが、日本の半導体産業が失墜していく最初の年だった。今やエルビータなどの日本の半導体 産業は壊滅し、また、日の丸家電も次々と墜落していく。



1991年は象徴的な年だったのです。


日本が坂の上に達したとき、雲の中に入り視界を完全に失った年だったのです。



一方、僕たちの世代、僕たちの昭和の時代はこうです。


小学生の頃、「ソニー、ソニー、トリニトロンカラー、ワンガンスリービーム、世界のソニー」というテレビのCMソングを歌いながら帰宅した。


子供たちにとってもソニーは世界に自慢できる会社、日本の誇りでした。



小学生の頃、大阪万博が開催され、好奇心旺盛な僕は、20回以上も心躍らせてわくわくして見に行ったものです。月の石を見たいがためにアメリカ館の 前に並んだ。みんな3-4時間待つのは平気だった。単なる一握りの石に過ぎないものを見るためにですよ、熱射病で何人もが倒れて救急車で次々と運ばれ ていく。



九州から家出した5人の小学生が補導され、何をしに大阪に来たのかというと、親に反対されたので、この万博を見るために集団で家出した。


こんなニュースがありました。


目をきらきらさせた子ども達が語った言葉です。



「僕たちは未来を観るために大阪に来たんです。」



非行少年ではない、知的好奇心に満ちあふれた子供達だった。



大阪万博には、21世紀の未来があった。


ぎらぎらしたものが当時の社会には渦巻いていた。


日本が元気だった高度成長期の頃。


僕たち少年は、21世紀の未来に、「坂の上の雲」を見ていた。




しかし、日本は今、閉塞した重い空気に包まれています。


311の大震災でこの国はこれから相当厳しい時代にならざるを得ない



大勢の人に、失われた20年がなぜ起きたのか、僕は理由を尋ねました。



80年代、アメリカは日本の追撃を受け、主力産業を次々と衰退させながら新たな主役を登場させた。イノベーションによって大きなブレークスルーを達 成できた。繊維産業から鉄鋼産業へ、自動車産業からIT産業へ、アメリカは未知の領域へ投資することによって産業イノベーションを常に起こしてきた。


投資こそ産業革新の原動力であり、未来へ投資しなければ負のスパイラルに入ってしまう。


しかし、日本は果たしてこの20年、未来への投資をしてきたのか?


日本の現在の長い、長い低迷の原因がここにあると思います。



また、より深刻なのは、精神の問題です。


自分の決定のリスクを誰も取ろうとしない。 


民間も大企業はリスクをとらなくなりうまくいっていない。


政府も全く同様で新しい政策をどかんとやらない。


結果的に新しい一歩を踏み出せない。



これは、皆さん、若者の責任ではありません。


しかし、怖いのは、この社会の雰囲気が若い人の価値観までゆがめている事実です。



幼児教育の先生と話し合ってとても印象深いことを聞きました。


この頃の子供の絵には、未来の絵がないのだそうです。


僕たちの時代は、手塚治虫の「鉄腕アトムの世界観」を子供達は未来図として共有し心の中に持っていました。


動物の絵や、両親の絵は今も昔もある。


僕たちの子供の頃は未来都市や、そこを飛ぶ車、ロボットの絵を必ず書いていた。


しかし、今は、子ども達ですら、未来図がなく、未来を想像することができない。


背筋がぞっとしました。



僕たちは、21世紀の世界の到来を子供心にわくわくして待っていた。


今、21世紀に入って日本はこの先,50年後,100年後の未来を予測できるだろうか? 未来図を描けない時代になっているのではないか?


一方で、アメリカはどうかというと、次の時代につながる学問やイノベーションが生まれている。なんだかんだといっても凄い底力があります。




どうしてお目出度い卒業式に、景気の悪い話ばかり祝辞でするのか? 


お叱りを受けるでしょう。


しかし、ここからが、私が、皆さんに伝えたいことなのです。



皆さんが早稲田の杜で学んだことは、単なる知識ではない。


知識だけならば専門学校へ行けばいい。


もっとも大切なことは、科学的精神を学んだということです。



科学的精神とは何か?


私が科学を通じて学び、教えられたことです。



とんとん拍子に何も苦労せずにうまく行くような、素晴らしい研究などこの世にはありません。研究とは、スランプや障害、苦難と常に隣り合わせです。



しかし、そのとき、自分を過大評価したり、必要以上に悲観したり、逆に楽観してもだめだ。まず、一端、自分の状況を冷徹に分析し、弱点を洗い出し、 どこに優れた点があるのかを徹底的に見つめ直す。そこから出発して、自分の能力を客観的に知り、新しいオリジナルなアイデアを創出して、それが現実に 合致するのかを分析し、次に行動に移す。



これは科学者にとって当たり前なことですが、最初は何度も失敗しましたが、成功体験を積むことによって、苦しんでも成功したときのすばらしさや喜び を味わった。


もしかすれば、10年後は、化学・生命化学科のキャリアとは違う分野や方向で仕事や研究を行っている人もこの中にはいるかもしれません。


しかし、この科学的精神だけは失わないでいただきたい。


私は科学に希望を全く失っていません。



そして、私たち科学を学ぶものこそが,この国の未来のイメージ、未来図を創成し、次の世代に伝えていく責任があります。



個人の幸福も大切だが、この社会、この国を牽引するくらいの馬力を以て、日本を良い方向に導いていただきたい。


私は心からそう思うのです。



早稲田の杜で共に学んだのだから、使命感を以て、「2050年の鉄腕アトム」、未来図を描き、子供たちへ伝えていただきたい、


それができるのが、若者達である皆さんなのです。




嵐の海へ航海をスタートする若い人たちへ



この国への私の希望は、あなたたち若者達への希望であります。



どうか、このことを忘れないで、未来への大航海を今、勇気を持って出帆して下さい。



みなさん、ご卒業おめでとうございます。

2013年3月26日