先生のコラム

人生の「long and winding road」:理想と現実の距離

 

この度の大震災で、卒業式、学位授与式、謝恩会等の公式行事はすべて中止になりました。皆さ んの人生の新しい門出を祝福する上でも大切な行事であり、とても残念です。謝恩会でお話しする予定だったスピーチをこちらに転載しました。


私は熱狂的な映画ファンです。 映画というものを初めて知ったのは小学校1年生でした。家族揃って、イギリスの巨匠ヒッチコックの「レベッカ」を観に行った。これが映画との初体験です。しかし、小学生の 1年の坊主に女性の複雑な深層心理を描いたこの映画など理解できるわけがない。ずっと売店のおばさんと話していた記憶しかない。 しかし、小学生の4、5年の頃には立派な映画少年になっていた。黒澤明の「赤ひげ」やイタリアのデシーカの「自転車泥棒」などの映画を知ったのはこの頃だった。以来、今日 に至るまで、洋の東西を問わず、世界の名作と呼ばれるものは殆ど観ました。


そこで私はある映画の法則を発見しました。 おもしろいことに本当の名作と呼ばれるものは、国が経済的に勃興していく前段階で生まれる。 人々はまだ貧しいが、次第に豊かになる上昇期に名作は生まれるんですね。 日本では戦後焼け野原から復興した50-60年代に黒澤や、「東京物語」などで知られる小津の時代が来る。ところが70年代の高度成長期以降になると名作は生まれない。そ れ以降はテレビ時代が訪れ、また、商業主義の映画が中心になってしまうからなんです。アメリカやイギリス映画では、たとえばジョン・フォード監督の名 作「わが谷は緑なりき」などは1941年の作品で、60年代に入ると商業主義のハリウッド映画が跋扈し名作は生まれにくくなる。一方、目をアジアに転 じると、1995年くらいから中国は経済的に勃興し今に至るが、中国映画では、1980年後半に世界的名作が生まれる。中国映画には、二人の巨匠、 チェン・カイコー監督とチャン・イーモー監督がいますが、今日は、チャン・イーモー監督の話をしたい。

実は二人とも中国社会では異端者だった。 「初恋の来た道」や「赤いコーリャン」で、ベルリンやヴェネツィア国際映画祭でグランプリを受賞したチャン・イーモウ監督は「子供の頃、映画監督など夢のまた夢、監督にな るなんて思ってもみなかった。」 共産党と国民党が闘い、1949年、国民党率いる蒋介石が負け台湾に敗走することになった。逃げ遅れた国民党の人々は、人間とは思えないような閉鎖された地域で生活せざる を得なかった。 チャン・イーモウは逃げ遅れた国民党の軍人の息子として生まれた。このような境遇の下で生まれた子供は将来、何になりたいなど全く夢も希望もなかった。食べていけるだけで 幸せだった。乞食のような惨めな生活だった。 ところが、70年代前半、狂気の文革の後、時代が次第に変わっていって、このような国民党の子供たちにも門戸が徐々に開かれていった。そのとき、北京に国威発揚のために映 画大学ができ、この枠に多くの学生が殺到した中の1人が若きチャン・イーモウだった。初めは、カメラマンになろうと思って撮影部と言うところに入った ら 周りは皆、自分よりもずっと若い人ばかりだった。自分は25歳を過ぎていて、将来性が低いと考えて、他の部を見ると、映画監督養成の監督部の方が 高齢でも何とかやって行けそうだと入り映画を作ろうと頑張って今に至っている。


家族も友人も異口同音に、「おまえが世界的な監督になるなんて思っても見なかった」という。 チャン・イーモウ曰く 「だけど、人生なんてそんなものじゃないだろうか?
人間なんて、目の前の二者択一を一つずつ選んでいった結果がそこに至るのであって、目の前のことを一生懸命やっていれば何かやっぱり自分がやった人生 が自然にできあがっていくんです」


この言葉に深く共感します。 ビートルズに「long and winding road」という名曲がありますが、私の言葉で置き換えるとこういうイメージなんです。 「long and winding road」、人生の長くまがりくねった道を必死で苦しんで、苦しんで歩んでいて、ふとある日振り返ると、曲がりくねった道だったはずなのに、空まで一直線にまっすぐ自分の 来た道は繋がっていた。


初めからまっすぐの道なんて人生に準備されていません。どんな豊かな時代でも志のある若者は 悩み挫折し不安を抱くのが普通です。 だが、遠くのことばかり考えて足下の現実をちゃんと踏み固めないものには成功はやってこない。こういう人は大言壮語ばかりで終わり、現実の今も、未来も両方が中途半端に なってしまう。 しかし、巣箱のトレッドミル(回し車)を走るハツカネズミのように目の前の現実だけをひたすら機械運動のように繰り返しただけでは駄目だ。やはり理想や夢という長期的展望 を持ちながら、足下の現実をしっかり生き、理想と現実の距離を確認しながら微調整した結果が将来の成功に繋がるのだと私は思う。


しかし、皮肉なことに、理想と現実の乖離が最も大きく感じる時代こそが実は皆さんの20代で もある。10代は漠然と夢を見ることができた。しかし、20代は決断をしなければならない。現実と妥協しなければいけない局面はいっぱい来ます。そこ で、高い理想を持つ人間ほど七転八倒する。それは理想と現実の距離感を知ってしまうから苦しいのです。これが間違いなく20代です。


人生は二者択一の結果、諦めなければいけない現実もいっぱいあるが、二者択一の結果、諦めた ために将来の成功があるという言い方もできる。 しかし、そこで悲観主義に陥らず、現実を精一杯生きなければ、将来はやってこない。


「その時の選択は間違いに見えても長い人生を送り振り返ると、それは局所的間違いで、長期的 視野で見た場合はその間違いは、成功のための間違いだった」ということに気づくことがよくある。しかし、それは、歩んでいる時には、小さな曲がった道 にしか映らない。


人生の長くまがりくねった道、「long and winding road」を必死で苦しんで、苦しんで歩んでいて、ふと振り返ると、今まで来た道が空まで一直線にまっすぐと繋がっていたことにいつか気づく時が来るでしょう。


皆さんはまだ振り返る時代に至ってはいない、だからこそ、一直線に繋がった道を築くために、 今、人生の「long and winding road」を一歩ずつ一生懸命歩んでいただきたい。


これが私の贈る言葉です。