研究概要


本研究室では「新規機能性有機分子の設計、合成、および反応性に関する研究」を総括研究課題とし,有機化学的手法を用いて主に構造有機化学・複素環化学・生物有機化学の観点から研究を行っている。面性キラリティーを持つシクロファン分子や補酵素NAD類似機能を持つ生体モデル分子,天然物類似の生物活性機能を有する天然物アナローグなど,様々な機能性分子の合成と機能探索を研究対象としている。具体的には,

  (1)構造由来の独自機能を活かした分子設計
  (2)機能性複素環分子の新合成法の開発
  (3)非天然型有機触媒と新規有用反応の探索
  (4)動的不斉変換法の開発
  (5)天然型および非天然型の生物活性化合物の合成と機能に関する研究

を主な研究課題に定めて研究を進めている。特に分子構造と機能性発現機構の関係に着目し,分光学的手法,結晶解析,計算化学的手法を用いた構造解析と,不斉有機合成,生物活性機能への応用を指向している。

面不斉シクロファン,ピリジノファンの新規合成法開発とその応用

面不斉化合物の新規合成法に関する研究を行っており,ヨウ化サマリウムを用いた分子内ピナコールカップリングにより様々な長さの架橋鎖を有するシクロファン合成に有用であることを明らかにした.また,ビニルイミノホスホランとプロピオール酸メチルによるピリジン環形成反応により,様々な長さの架橋鎖を有するピリジノファン合成法を開発した.

    Ueda, T.; Kanomata, N.; Machida, H. "Synthesis of Planar-Chiral Paracyclophanes via Samarium(II)-Catalyzed Intramolecular Pinacol Coupling," Org. Lett. 2005, 7, 2365-2368.

    Kanomata, N.; Yamada, S.; Ohhama, T.; Fusano, A.; Ochiai, Y.; Oikawa, J.; Yamaguchi, M.; Sudo, F. "Synthesis of Bridged Nicotinates Having [n](2,5)Pyridinophane Skeletons (n = 8-14),"Tetrahedron 2006, 62, 4128-4138.

本法により合成される面不斉シクロファンを光学活性な面不斉光増感剤として用い,(Z)-シクロオクテンおよび(Z, Z)-1,5-シクロオクタジエンの光異性化反応を検討した結果,最大44% ee,87% eeで対応する(E)-体および(E, Z)-体をそれぞれ与えることを見いだした.本研究は井上佳久教授(大阪大学大学院工学研究科応用化学専攻)との共同研究による成果である.


    Maeda, R.; Wada, T.; Mori, S.; Kono, S.; Kanomata, N.; Inoue, Y. "Planar-to-Planar Chirality Transfer in the Excited State. Enantiodif-ferentiating Photoisomerization of Cyclooctenes Sensitized by Planar-Chiral Paracyclophane," J. Am. Chem. Soc. 2011, 133, 10379-10381.

面不斉ピリジニウムイリドによる不斉シクロプロパン化反応

面不斉ピリジニウムイリドを用いた不斉炭素移動として,電子不足アルケンであるメチレンマロノニトリル誘導体との反応による不斉シクロプロパン化反応を行い,高エナンチオ選択的にtrans-シクロプロパン誘導体が得られることを報告した.

Kanomata, N.; Sakaguchi, R.; Sekine, K.; Yamashita, S.; Tanaka, H. "Enantioselective Cyclopropanation Reactions with Planar-Chiral Pyridinium Ylides. A Substituent Effect and A Remote Steric Effect," Adv. Synth. Catal. 2010, 352, 2966-2978.

面不斉ピリジンリガンドの合成と不斉触媒への応用

面不斉ピリジン多座配位子として,新たに架橋ビピリジンおよび架橋テルピリジンを設計し,単一の面不斉分子として供給可能な架橋ニコチン酸メチルエステルを出発物質とするこれらの効率合成法を見いだした.

Kanomata, N.; Suzuki, J.; Kubota, H.; Nishimura, K.; Enomoto, T. "Synthesis of planar-chiral bridged bipyridines and terpyridines by metal-mediated coupling reactions of pyridinophanes," Tetrahedron Lett. 2009, 50, 2740-2743.

面不斉テルピリジンの銅錯体はスチレンとジアゾ化合物による不斉シクロプロパン化を触媒し,通常とは異なるcis体のシクロプロパン誘導体を高エナンチオ選択的に与えることを報告した.

Mugishima, N.; Kanomata, N.; Akutsu, N.; Kubota, H. "Remote steric effects of C2-symmetric planar-chiral terpyridine ligands on copper-catalyzed asymmetric cyclopropanation reactions," Tetrahedron Lett. 2015, 56, 1898-1903.

シクロファン誘導体を用いた面性キラリティーの熱的制御に関する研究

面性キラリティーを有する多機能型シクロファン分子の動的挙動を解明し,面性キラリティー増幅を中心とした“なわとび分子”の効率的立体制御に関する研究を行っている。機能分子である架橋ニコチンアミドは加熱下で異性化反応が進行するが,その面不斉の立体制御は極めて困難なものと考えられてきた。我々は様々な架橋ニコチンアミドの誘導体を合成したところ,(S,S)-体は結晶性分子に,また(R,S)-体は油状分子になりやすいことを見いだした。そこで,このジアステレオマー間の物性の違いに着目し,固液平衡系を利用した加熱下における面不斉変換を検討した。その結果,“分子なわとびの立体制御”を伴う“面不斉の効率的な変換・蓄積現象”が観測され,最大99:1以上の比で(S,S)-体結晶への変換に成功した。この成果は不斉増幅を架橋型分子に応用した最初の例である。この方法により,機能分子である(S,S)-架橋ニコチンアミドの効率的供給が初めて可能となった。

Kanomata, N.; Ochiai, Y. "Stereocontrol of Molecular Jump-rope: Crystallization-induced Asymmetric Transformation of Planar-chiral Cyclophanes," Tetrahedron Lett. 2001, 42 , 1045-1048.

また,単一分子中に複数の面不斉ユニットを導入した分子群の異性化晶出を検討し,複数の面不斉を同時にかつ効率的に立体制御する手法の開発を目的として研究を行った.2個の面不斉部位を持つ架橋ビスニコチン酸誘導体を合成してその同時立体制御法を検討し,(S)-2-アミノ-1-ブタノールを不斉リンカーとして用いた場合に効率的な異性化晶出(97%ee相当)が進行することを見いだした.これは複数の面不斉を同時立体制御した初めての例である.

Kanomata, N.; Mishima, G.; Onozato, J. "Synchronized stereocontrol of planar chirality by crystallization-induced asymmetric transformation," Tetrahedron Lett. 2009, 50, 409-412.

触媒機能を指向した酸化還元型補酵素モデル反応の開発研究

嫌気性解糖におけるピルビン酸の不斉還元反応は補酵素NADHの関与する代表的な生体反応であり,乳酸デヒドロゲナーゼ中において立体選択的にL-乳酸のみを与える反応である。この反応の特長は,(1)補酵素NADHのHa水素のみが反応に関与すること,(2)酵素内水素結合によりピルビン酸の配座が固定されることであり,この二つの要因がともに機能して立体選択的にL-乳酸が生成する。この生体不斉還元を人工補酵素系で効率よく実現する目的で,我々はパラピリジノファン骨格を有する架橋NADHモデルを設計した。

このモデル分子には酵素壁面に見立てた架橋鎖が組み込まれており,基質は常に架橋鎖のない反応面でのみ還元される。実際,このモデル分子は天然補酵素に匹敵する高い立体選択性を示し,ピルビン酸モデル基質から乳酸モデル基質への不斉還元反応が進行する。また,同位体実験において重水素のみが反応に関与したことから,この不斉還元反応は三元錯体を経て,天然補酵素と同様に選択的水素移動により進行したことが明らかとなっている。我々が天然補酵素の反応機構からヒントを得て設計したこの架橋型NADHモデル分子は,いわばNADH依存型ホロ酵素(酵素と補酵素の複合体)の化学的ミニチュアとも言える機能性を発揮した。

シクロファン構造を有し,かつ面性キラリティーを持つ架橋型NADHモデル分子を用いた生体モデル反応として,乳酸デヒドロゲナーゼ(LDH)によるピルビン酸不斉還元反応の高立体選択的・立体特異的なモデル反応を研究している。また,嫌気性解糖におけるグリセルアルデヒド-3-リン酸デヒドロゲナーゼ(GAPDH)型の生体酸化モデル反応として,活性アルデヒドと補酵素NAD+モデル分子によるアルデヒド酸化型反応と位置選択的なNADHモデル分子の生成反応について検討している。

    Kanomata, N.; Yohida, M.; Suzuki, M.; Nakata, T. "Biomimetic Oxidation of Aldehyde with NAD + Models: Glycolysis-Type Hydrogen Transfer in an NAD+/NADH Model System," Angew. Chem. Int. Ed. 1998, 37, 1410-1412.

    GAPDHのシステイン残基由来のモデル基質を用いて反応を行った場合,完全な位置選択性かつ高収率でNADHモデルを与えることを見いだした.この結果は,硫黄原子の代わりに酸素原子をもつ非天然型のセリン残基由来のモデル基質を用いた場合はNADHモデル分子が僅かにしか生成しないことと好対照である.本研究の結果は,GADPH酵素内における基質の活性化にシステイン残基が選択されていることの妥当性を実験的に明らかにした初めての知見であり,硫黄の高い電子供与効果がその要因として考えられることが示された.

    Ogawa, N.; Furukawa, S.; Kosugi, Y.; Takazawa, T.; Kanomata, N. "Biomimetic systems involving sequential redox reactions in glycolysis -the sulfur effect," Chem. Commun. 2020, 56, 12917-12920.

天然型および非天然型生物活性化合物の合成とその機能性研究

(1) 異性化晶出によるスピロ環の立体制御を介した (±)-azaspireneの全合成

イソシアネートと3(2H)-フラノンのカップリングを経る収束的な合成戦略により,全12工程17%の総収率で血管新生抑制作用を有する(±)-azaspireneの全合成を達成した.立体選択的な水和により天然物を与えるスピロ体前駆体の骨格合成においては,所望のα-OH体と立体配置が異なるβ-OH体が優先して得られたが,β-OH体を高濃度で含む緩衝溶液から結晶性の高いα-OH体を定量的に析出させる異性化晶出に成功し,液相系では極めて困難な選択的異性化による天然物前駆体の供給法と(±)-azaspireneの効率的な全合成ルートを確立した.

    Hirasawa, S.; Kurashima, T.; Hasegawa, T.; Souma, K.; Kanomata, N. "Total Synthesis of (±)-Azaspirene via Crystallization-induced Diastereomer Transformation," Chem. Lett. 2022, 51, 985-988.

(2) 光異性化を鍵反応とする(-)-dehydro-exo-brevicominの不斉全合成

 (-)-Dehydro-exo-brevicomin (DHB)はオスのイエネズミの尿中から単離された性フェロモンである.我々は,trans-3-hexen-1-olから 8 工程44%収率で,(-)-DHBの短工程不斉全合成を達成した.本合成法の特長は,最終工程においてtrans-enone 1 の光異性化によりDHB前駆体cis-enone 2 を反応系内で生成し,その後の自発的な分子内アセタール化により所望の(-)-DBHを効率よく合成できる点である.また,最終工程の原料である1までの全工程でクロマト精製を用いることなく合成できることから,本合成法は量的供給が可能な(-)-DBHの不斉合成法として有用である.


    Hirasawa, S.; Masuda, T.; Mukai, K.; Miyoshi, Y.; Kanomata, N. "Asymmetric synthesis of (−)-dehydro-exo-brevicomin with a photoisomerisation-intramolecular acetalisation sequence," Org. Biomol. Chem. 2021, 19, 6897-6903.

(3) Azaspireneモデル分子の収束的合成と水中におけるラセミ化現象

 様々な生物活性を有するアザスピレンおよびその類縁化合物は、ユニークなスピロ環状コア構造を有している。しかし、(-)-アザスピレンの化学的性質については、生合成経路の解明につながる重要な知見が得られるにもかかわらず、ほとんど研究されていない。本研究では、アザスピレンモデル分子を収束的に9工程で合成し,セリン由来のキラル補助基を用いたジアステレオ分割を経て,これらの両鏡像異性体を合成した.これらの両鏡像異性体は生理食塩水中において,スピロ環骨格の連続する3つの不斉中心の反転を伴いながら,容易にラセミ化することが明らかとなった.


    Hirasawa, S.; Mukai, K.; Sakai, S.; Wakamori, S.; Hasegawa, T.; Souma, K.; Kanomata, N.; Ogawa, N.; Aizawa, M.; Emoto, M. "Elucidation of Racemization Process of Azaspirene Skeleton in Neutral Aqueous Media," J Org Chem. 2018, 83, 14457-14464.