「赤ひげ」の舞台を訪ねて:小石川植物園

ドストエフスキーや、ゲーテ、ヘッセなど、繊細な感受性を持つ若い時代にこそ読まなければわからない作品がある。
心がまだ柔らかな時代に、耕せば耕すほど、心の土壌は豊かになり、人間性は深く掘り下げられ感受性の感度はますます鋭敏になる。人生に対して深い思索力と洞察力、想像力が身につく。
年をとれば血管は固くなり柔軟性を失って動脈硬化症に陥るが、心も全く同じだ。
年をとれば外界に対する興味は次第に失われ、努力を怠れば感受性の感度は確実に鈍麻していく。
知性と感性のバランスが重要で、それぞれが豊かで、繊細で、柔軟な若い時代にこそ、是非読んでほしい作品が山のようにある。この時期を逃すと、貧しい心のまま人はつまらない一生を終えてしまう。二度と戻ってこない、本当に大切な時期だ。

喜怒哀楽がほとんどなく、社会に無関心で人間にも無頓着な学生が少なくない。アンバランスに学業成績だけが突出している学生を見ると背筋がぞっとする。
このような学生と話しても、知性と感性のそれぞれがあまりにも貧弱であることがすぐわかるが、本人は全く気づいていないことに激しくいらだつ。まだ、こんなに若いのに、心の末期的な動脈硬化が起き、もう治療できないところまで病が進行しているのに、本人は感受性が鈍磨しているため、心が老化していることに全く気がついていない事実に背筋が凍るほど驚愕する。

ネットでクリックすれば数秒で山のようにデータが出てくる知識なんてそれだけではがらくたにすぎない。本物の教養とは、知識がいっぱいつまっているということではなくて、想像力と洞察力、思索力、感受性が研ぎ澄まされていることだと思う。
よく博覧強記の頭脳を持つ人が日本では優秀な人だと称えられるが、私はこの人達に全く知性を感じない、全く関心を持たない。博覧強記の頭脳とは、知識が系統立って整理されており、それぞれの引き出しにうまく情報が収納され、いつでも必要なときに必要な知識が自在に引き出される様な状態を意味している。
しかし、情報ネットワークが進み、世界中の情報が瞬時に得られる時代にこのような古典的な秀才達は全く役に立たない。クリエイティブではないからだ。
クリエイティブであるためには、想像力と洞察力、思索力、感受性が研ぎ澄まされている状態にしなければならない。これらを鍛えるために、深く学ぶとともに、文学や映画、音楽、絵などの芸術作品をできるだけ多く若い頃から味わっていただきたい。サイエンスも特別なものではなくて、これらと同じ芸術作品だ。科学者が何故その自然現象に気がついたのか? 論理性だけでは到達できない。彼等、彼女たちがそこに至った過程を想像するとき、私は学術誌を読んでレベルが高いものであれば、まるで芸術作品のようにいつも感動している。
そして、このような芸術作品を若い時代に心の底から味わい楽しんでいただきたいと思う。
若い内にできるだけ多くの神経回路を作り、感動できる柔軟な心を作っていただきたい。これらは必ず一生の滋養になる。豊かな人生を送る上で欠かすことができないと断言できる。どんなに金があっても、本物の教養のない人生なんて凄まじく貧しい!

しかし、読書の習慣がない学生に文学作品を紹介しても何の関心も示さないことを知り、趣味が高じて、世界の名画DVD200選び(まだ途上だが)、研究室に置くことにした。
チャップリンやヒッチコックなどの欧米の古典的映画から、
ミュージカルの最高峰、「サウンド・オブ・ミュージック」、
フェリーニや、デシーカのイタリア映画はもちろん、
「汚れなき悪戯」や、「シベールの日曜日」などのフランス映画、
自分と深いところで感性が共通しているビクトル・エリセ監督のスペイン映画、
インド映画の巨匠、サタジット・レイの大地の三部作、
イラン映画の巨匠、アッバス・キアロスタミ監督の作品
東欧から北欧、ロシアの映画まで、
クラシックばかりではなく、「善き人のためのソナタ」や、小学生の頃大好きだったケストナーの児童文学を映画化した現代ドイツ映画

中国映画では、チェン・カイコーの大作、「さらば、わが愛 覇王別姫」、
本作はカンヌ映画祭パルムドール賞受賞したが10年に一度出るかというくらいの素晴らしい作品だ。この映画を観て、歴史に翻弄される中国の庶民たちの心情が初めて理解できた。
日本映画では、黒澤や小津の時代の映画から、人間の死をユーモラスに、そして温かく描いた、是枝監督の「ワンダフルライフ」まで。
また、初めて映画を超えたと深く感動した、NHKの長編ドラマ「大地の子」など、藤原ていの「流れる星は生きている」を読まなくても、まずこちらから是非観てほしいと思った。

世界を旅行して観光地に行くのもいいが、そこに生きる世界の人々が一体、何を求めて生きているのか? 
何を喜びとして生きているのか? 一人ひとりの吐息と鼓動を感じとってほしい。
彼ら、彼女たちにとって人生の価値とは一体何なのか? 
どうか世界の名画を知っていただきたいと思います。



生涯で一作の映画を選べと言われれば、私は迷わず、黒澤明の「赤ひげ」と答える。子供の頃、この映画を初めて観た時、あまりの感動に言葉を失ってしまった。
爾来、心が痛くなるほど激しく感動したのはこの映画だけだ。
これまで百回以上は観ただろう。その都度、新しい発見と深い感動がある。

人にとって生きるとは一体何なのか?
人にとって死ぬとは一体何なのか? 
人とはどうあるべきなのか?
人は他者に対してどのように接しなければならないのか?
私の人生観の総てがこの映画に凝縮されているといっても過言ではない。
これほど深い映画を私はこれまで他に知らない。

人生の途上で、心が折れてしまいそうなとき、必ずといっていい程、この映画を観た。
生きることの神々しさ、素晴らしさを再確認し 心の底から勇気づけられた。
はらわたから温もりを感じるくらい、生きとし生けるものに対して、深い愛情を感じるようになった映画だ。

ボストンを去る最後の冬に、親友とよく訪れたハーバードスクエア近くの学生街の小さな映画館で黒澤映画の特集があり、「赤ひげ」を一人で観た。
友人はイタリア映画が好きで、よく一緒にこの映画館でイタリア映画につきあわされた。しかし、イタリア語はわからないので、英語の字幕を追うことになるが、とても私のスピードでは追いつけなくて、途中でストーリーがさっぱりわからなくなって、小声でどうなっているのか尋ねた。友人は微笑みながら、戸惑う私に丁寧にストーリーを教えて助け船を出してくれた。

アメリカの観客は静かに映画を観ていません。
岡場所の用心棒らを束にして切っては千切るように叩きつぶす赤ひげの激しい怒りを観て、おばあさんが大きな歓声をあげて喜んでいた。
人を愛する心を取り戻したおとよが乞食をして、割った皿を保元に買って返そうとするシーンを観て、隣の白人のおじいさんがハンカチを目に押し当ててすすり泣いていた。
いつの間にか観客と一緒に喜怒哀楽を味わう、不思議な一体感に、異国の地の小さな映画館の中で浸ることができる。初めて映画館の中で出会ったのに、時々、こちらにも感動を求めるように、微笑みを向けるアメリカ人のあけっぴろげな性格は素敵だ。


江戸幕府の御番医という栄達の道を歩むべく長崎遊学から戻った保元登は、小石川養成所の赤ひげと呼ばれる医長、新出去定に呼び出され、医員見習い勤務を命ぜられる。
当時の長崎遊学とは、今で言えば、ハーバード大帰りのようなものだ。トップエリートを志しながら、自分が最底辺の吹きだまりのような場所に悪意で落とされたことに保元は恨みを抱く。
貧しく蒙昧な最下層の病人の中に埋もれる悲惨な現実への幻滅から、赤ひげに激しく反発し不貞寝を決め込む。
保元の目に映った赤ひげは、強情で、偏屈、言葉少なで、終始、苦虫を噛み潰したような表情で、常に何かに怒っている。


赤ひげ「人間の一生で、臨終ほど荘厳なものはない、それをよく観ておけ。」

保元「臨終だって私は赤ひげのように観られない、あれが荘厳だなんて、私には醜悪なだけだ」

森半太夫「六助は結局なんにも言わずに死にました。
病人の苦痛や死のすさまじさは恐ろしい。でも先生は見る目が違うんだ、
病人の体を診断すると同時に、その人間の心も診断してしまわれる。」

保本 「・・・・」

森「私もね、いつかは先生のあの境地までたどりつきたいと思っています。」

生まれて初めて、目の前で人が死に逝くさまを保元は観ることになる。
どうしてもその現場から逃げたい。赤ひげは、人の最期の荘厳さをその目で観ろというが、保元には惨めなぼろ切れにしか映らない。
犬畜生のような人生の掃きだめの中で、患者たちは静かに死を迎える。
ぼろ切れのように惨めに切り刻まれた庶民の人生に一体、何の荘厳さがあるのか?
保元には全く理解できない。

自分の出世や学問しか見えなかった保本には、婚約者が自分を裏切ったことでいかに傷ついたかはわかるが深い思いには至らない。
しかし、掃きだめのような養成所で人々は深い思いで生きていることや、自分を深く内省し良い人生を歩みたいと励んでいる患者や、貧しい人たちとの関わりを通して気づかされていく。

赤ひげは木石の心の持ち主ではない、人の心の襞を正確に読むことができる極めて繊細な感受性を持ち、人に対する深い温かみと洞察力、想像力を持つ男だということを保元はしだいに理解する。
乱暴な言動の裡に脈打つ強靱な精神と力強い優しさを赤ひげの中に見いだしていく。医師として、人間として、保元は赤ひげの深い人間性に強く惹かれていく。

赤ひげは六助のあの沈黙の中に恐ろしい不幸せを洞察した。
想像力と洞察力、感受性が研ぎ澄まされている人でなければ、他者の心の傷みを理解することなどできない。これこそが人間の教養であり、人間に対する優しさには教養が不可欠だ。
人間に対する深い洞察力と思索力、想像力がなければ、他人の心の傷を赤ひげのように適切に治療することなど到底できない。

心の傷に対する処方を間違うと、他者に対する恨みや憎悪になってしまう。しかし、ちゃんとした治療を施せば、心の傷は、他者への温かみや、同情であったり、深い人間愛に昇華するようにもなる。
赤ひげは深い教養人であったからこそ、患者たちの恐ろしい不幸せを洞察することができたのだ。

医療の世界の問題だけではなく、この作品は「人はなんによって生くるか」を深く問いかけ、その答えを、観るもの総ての人々に提示しているのである。

子供の頃、観たときは、ヒューマニズムの頂点の映画だと感じた。
しかし、原作者の山本周五郎は、映画化に当たって一つだけ黒澤に注文を付けたという。
「赤ひげを英雄にしないでほしい。人間の罪を知っているものとして描いてほしい。ヒューマニストにしてはいけない」と。
黒澤は山本文学の本質を深く理解し、原作以上に的確に映像美として結晶化させた。

生きることが本来持つ根源的な「不条理と哀しさ」に目を背けず、刮目し続けることはとてもつらい。
日々の雑事に追われて、人間の根源的な問題から目を遠ざけ、安逸をむさぼることで、人は日常を生きているのかもしれない。臨床の現場で毎日のように起きる人間の死に対して無感覚になってしまう医師は少なくない。

保元は、今まで成功したのは自分の努力によるものだと思っていたが、実はいろんな人が支えてくれていたことにようやく気づいていく。
自分だけが世界の中で、ひとりだけ傷ついていると思い込み、それを他者の責任にしていたが、患者たちの救いようのない現実と、その現実を運命として受け入れ、死の淵へ落ちていく様子を、医師として患者を看ることによって、初めて人生の重い真実を理解するようになる。

患者たちは、けして、ぼろ切れのような生き方ではないことを知っていく。
この過程を通じて、保元の心の傷は、他者を愛する感情へと昇華していくのだ。
さまざまな庶民のエピソードはこうして保元の心の成長へと深く収斂していく。

たおやかに雪が降る美しい冬の日、江戸の町で佐八とおなかは出会った。
しかし、江戸の町を襲った大地震によって二人の運命は切り裂かれ、つかの間の幸せは終わりを遂げる。
浅草の観音様の夏祭りで二人が再会した時、一陣の風が吹き、風鈴が一斉に鳴り出す。大地震で妻はとうに死んだものだと諦めていた佐八の喜びと、二人の心の高鳴りを表している。
しかし、しだいに風鈴の音が小さくなると、お互いの顔を見つめることができない程、もの悲しい切なさだけがそこに残る。風鈴の音に、二人の心の激しい鼓動と寂寥感が見事に表現されている。
佐八は、ただ、幸せな家庭をおなかと築きたかった。そのために懸命に働き続けたが報われず、神は最悪の不幸を二人にもたらした。それにもかかわらず、神を恨むことなく、市井の人々に少しでも役に立つことで、死んだ妻の供養をしようとする。
佐八は、妻の死から「生きることの哀しさ」を知り、生きとし生けるすべてのものへの愛情へとさらに昇華させたのだ。
ここには小さな仏陀がいた。崇高な生と死があった。


子供の頃はこの映画を保元の視点で観ていたが、年を取るにつれ、赤ひげの視点から観るように変わった。
赤ひげが、生と死の現実から目を背けなかったのは、「生きることの哀しさ」に向き合わなければならない局面が赤ひげ自身の人生のどこかで訪れたからだろう。
原作も映画も赤ひげ自身の人生には触れていない。私が勝手に解釈しているだけだ。それは、赤ひげにとって深い心の傷になっていたに違いない。
おそらく、赤ひげ自身が人生の途上でかけがえのない人を亡くす経験をしていたのだろう。
そのことが、赤ひげの視点から観てようやくわかった。
赤ひげとは原作者の山本周五郎であり、周五郎の妻を看取った医師であることにやっと気がついた。

周五郎は、41歳の時、若き妻、きよえを膵臓癌で亡くした。
妻を看取ってくれた医師が医師の鑑のような人で、その人が赤ひげのモデルとなった。かけがえのない妻を失った周五郎と、妻を最期まで看取ってくれた医師、
周五郎は心の中でこの医師に手を合わせたという。
ここから「赤ひげ診療譚」が生まれたのだ。

赤ひげの心の傷は、貧困を生む、時の政治に対して激しい憤りとなって表面に露出する。松平壱岐や、和泉屋徳兵衛といった時の権力者や実力者の上前をはねて、裏長屋に住む最下層の人たちの治療費にあてる赤ひげは、社会が貧困や無知といった矛盾を生み、人間の命や幸福を奪っていく現実から目をけして逸らしていなかった。深い愛情が時には激しい怒りとなる。


映画の中のそれぞれの庶民のエピソードとともに、観客は、一人ひとりが持つ人生のエピソードと重ねあわせていく。

私は、ボストンで出会った親友のことを想い出していた。
私たちは、時を忘れて、サイエンスのこと、人生のこと、芸術のことを深く語り合った。
2回目の入院で、残された時間があまりないことを主治医から聞き、私はどのようにその事実を話せばいいものかと悩み、こちらの動揺をさとられまいと思わず作り笑いをした。
私の心を先に察し、逆に微笑みながら私を励ました友人の底なしの優しさ。

友人は末期の急性骨髄性白血病に侵されていた。
その時、自分に残された時間を誰よりも知っていた。

私はいたたまれぬ心をどこにぶつける当てもなく、天を見上げて神に悪態をついた。
一体、どうして、これほどまでに真摯に生きている人を神はなんの憐れみもなくこの世から消し去ろうとするのか。
こんなにも人生を懸命に生きている人を私は知らない。
こんなにも誠実に、切実に生きている人を見たことがない。
入院の前日の深夜まで、実験を続け細かなデータを整理していた。
一時も無駄にせず、研究に集中する横顔がとても印象的だった。

私は様々なことを教わった。
私も例外ではなく、日本人の男性は、とりわけスケジュール管理が下手だ。だらだら仕事はするが、コストパフォーマンスの点では極めて悪い。どんなに素晴らしい発想力があって実験がうまくても、だらだらやっていれば、仕事を完成させることはできない。無駄な雑談は研究者を殺すことになる。ネットサーフィンなど自殺以外の何者でもない。
様々な色のラインマーカーでびっしりと色分けされた手帳を友人から見せられた。
生命科学実験では、インターバルが多く、その合間にどのように他の実験を組み合わせていくかが一目瞭然だった。それが研究のコストパフォーマンスを確実に上げることになる。一週間仕事をして、スケジュール管理術を知る人と、そうでない人では、実験データの量が3倍以上違うことが、これを実践して初めてわかった。スケジュール管理術を知ることが研究者としての成否を決める。スケジュール管理をする中で、短期的な仕事と長期的な仕事を分けて、どのように組み合わせていけば良いのか自ずと整理されていく。単に時間の有効利用だけではなく、自分を1ミリでも前進させポリッシュアップしていく確かな姿勢がここにある。

パンセを人生のバイブルとして12歳のころから読み続けてきた私は父の影響を強く受けてあまりに観念的すぎた。観念的すぎることは逆に日々の生活の中では心が渇きもろいことを教えてくれた。
日々の生活は炊事、洗濯などの繰り返しで、ややもすればとても単調になる。しかし、生活に一定のリズムを刻む上でこれらはとても重要なことで、逆に単調にならないようにこういうところに工夫を加えると、案外充実した生活に変化することを教えてくれた。日々の生活のベースとなる部分をしっかり管理し維持することはとても大切なことだ。
調理などの作業を男たち(特に男子学生)は馬鹿にするが、高級料亭などにいくよりも、自分で一工夫を加えて味覚のちょっとした変化を楽しむことを通じて、 楽器を演奏できない人でも、自分の感覚の世界を、より繊細にさせ、研ぎ澄ますように努めることで、毎日の精神のバランスを保つことができる。男にはなかなか気がつかない生活者の知恵だ。
理性と感性の調和などというと哲学的で難しいが、日々の当たり前の生活の中に、二つを調和させる大きなヒントがあることを教えてくれた。

辛くて、救いようがなく、どうしようもない悲嘆に沈んだ時、ユーモアの精神を持つことが大切だ。友人は自分自身の身を以て、このことを私に教えてくれた。
藤原ていと、新田次郎の息子の藤原正彦は、「遙かなるケンブリッジ」で、ユーモアについてこのように書いている。
「自分を一旦、状況の外に置くこと。対象にのまれこまずに、一定の距離を置いてものをみること。そこから出てくる大人の知恵。真のユーモアとは単なる滑稽感覚とは別のもの、人生の不条理や悲哀を鋭敏に感じとりながら、それを、よどみに浮かぶうたかた、と達観し、突き放し、笑い飛ばすことで、悲観主義に陥るのをしりぞけようとするもの。したがって、ユーモアとは、苦しい状況に置かれたとき、もっとも真価を発揮する。」
友人は、死が背後まで迫った絶望的な状況であっても、このユーモアの精神をもって、自分と、自分を取り巻く人々と状況を冷静に捉えていた。ユーモアとは必要以上の悲観主義に陥らないための特効薬だ。だからこそ、自分の死期を知った私の心を察し、逆に笑って悲嘆に暮れる私を温かく励ますことができたのだろう。自分自身の悲惨の前に、側に寄りそう他者の心を察する余裕がユーモアの精神によって生まれたのだろう。

ガラス越しに病室を覗くと、廊下とは反対側の窓際の奥のベッドの上で、友人は、小さなベッドライトを頼りに、手帳になにかの書き込みを熱心にしていた。

病室の壁に浮かびあがった友人の影は凛とした、たたずまいだった。
こんな影にすら人間の気品というものが現れるのかと驚いた。
私は、とても厳かな気持ちになっていた。


身内もなく、極貧のために、娼家で客取りをさせられるようになったおとよ。
高熱を発していた少女を、守銭奴の女主人から救いだし、赤ひげは治療のために彼女を養生所へ連れて行く。火傷のようにただれた心を持つおとよは、保本と赤ひげの献身的な処置に徐々に心を開いていく。自分を救おうとする人にさえ、激しい牙を向けてしまう程、凄まじいまでの猜疑心を持つ少女が、血の通う温かな心を持つ人間に戻る過程が何とも言えず素晴らしい。

最初に見せた少女のギラギラするかのような狂気の目つきがしだいに正常に戻り、自分よりもさらに悲惨な境遇の子どもである長次に対する深い愛情へと変容していく。
そして自分の食事を乞食の長次へ分け与えようとする。
炊事場の裏手に壺がきれいに並んでいて、その隅に、壺のように並んで縮こまっている哀れな長次の姿は、居場所のない、この子の境遇と、救いようのない孤独を的確に表している。
心に深い傷を負い、「生きることの哀しさ」を経験したからこそ、乾いた心に血の温かみが流れたとき、おとよは、自身の心の深い傷を通じて、他者への無私の愛情に変えることができたのだ。

山本周五郎の文学の根底に流れているものとは、一体、何なのだろうか?
六助、佐八とおなか、おとよ、長次、
彼らは、年齢こそ違うが、深く哀しみ、傷ついた人生を送ってきた。
自分自身が深い哀しみを経験したものでなければ、生の根源に通底する他者の哀しさを深く理解することなど到底できない。
この深い感情に到達したとき、真摯に、誠実に、切実に、生きたいと思うとき、人は、初めて、他者に対して深く温かな愛情を抱くことができるのではないだろうか。
周五郎はそのように、私に問いかけているように思えた。

保元は、赤ひげと小石川養生所へ続く坂を上がりながら、自分の決意を赤ひげに伝える。
自分が決して尊敬されるべき人物でなく無力な医師でしかないと赤ひげは語り、保本の情熱を無軌道なものと拒絶するが、保本はあきらめず、最後に赤ひげは保本へ忠告する。

赤ひげ「お前は必ず後悔する」

保元「試してみましょう」

保本へ背を向け小石川養生所の門をぶっきらぼうにくぐっていく赤ひげ。

冒頭で保元がくぐり抜けた小石川養生所の大きな門は映画の最後の門とは全く違っていた。
それは赤ひげに続く保元の未来を象徴的に暗示しているのだ。
映画は、すがすがしく、感動的な場面で幕を閉じる。


人は必ず近親者の死、かけがえのない人たちの死、最後に自分自身の死に直面することになる。このことは人間が本来持つ不条理性であり、「生きることの哀しさ」を避けることは何人も絶対にできない。

私の人生においても、その瞬間が度々訪れた。

父の介護の中で、ぬかるみに足を深くとられ身動きが取れず、自分が窒息死するぎりぎりの果てで看取った父の死。凄まじい精神的疲労の中で観た、生と死が交錯する荘厳な一瞬。

病棟の中で、最期の最期まで周囲の人々への、きめ細かい配慮と、深い愛情を一瞬も忘れず、死の暗闇の淵へ、静かに、深く、落ちていった無二の親友。

自分が亡くなった後、周囲の人々へ迷惑がかからないようにと、事細かに書かれた手帳が残された。
しだいに筆圧がおぼつかなくなり、ところどころ不明瞭になっていたが、託された手帳には、深い感謝と慰労の気持ちが、意識が混濁するぎりぎりまで、力の限り刻まれていた。

東北の大震災でかけがえのない人を失った多くの方々へ。

これから人生航海を開始し、大海原へ船出する若い人々へ。

人生を誠実に、そして、切実に生きようとする人々へ。

いま、この時代だからこそ、大勢の方々にこの映画を観ていただきたい。
心の底から私はそう思うのです。
この珠玉の映画は私の人生の至高のマスターピースだ。
ここには、人間の総て、喜びと怒りと哀しみが、見事に凝縮され描かれている。

山本周五郎の「あおべか物語」の中の「人はなんによって生くるか」に対する総ての答えがここにある。
山本周五郎と黒澤明という比類のない名工たちから、総ての日本人へ贈られた素晴らしい遺産だと思います。
映画を創る人々の情熱と誠実さなしには、この映画は絶対に成り立たない。
こうして、「赤ひげ」は、人間の歓喜を謳い上げた、魂を揺さぶる世界的な名作となった。

黒澤は、「映画とは、生きる力を与えてくれるものでなければいけない、観客が映画館から出てきた時、力がみなぎっているようなものでなければいけない」と考え、「赤ひげ」を渾身の力を込めて製作した。

映画館を出ると、ボストンの街は白銀の世界だった。

漆黒の空から、きらきら輝き回転しながら落ちる真綿の雪を見上げ、
暗闇の淵へ落ちていった友人のことを想いながら
私の心は、いつしか、とても温かな気持ちになっていた。



私のように、弱く惨めな心の持ち主でも、いつか、この温かな気持ちが、友人のように、生きとし生けるものすべてへの深い愛情に通じるように願いながら、、、

これほど素晴らしい出会いを与えてくれた神様と、
ボストンの街に心から感謝しながら、

私はこの街を去ることにした。

  

 

小石川養生所の井戸:現在の小石川植物園の中にある。
おとよと炊事場の女たちが井戸の中に向かって叫ぶ。
「長坊~!長坊~!」 
井戸の中に向かって叫べば、死にかかっている者も呼び返せるという言い伝えがあるのだ。井戸は地面の底へ続いているからだという。 

小石川御薬園:小石川養生所は、1722年、薬園の中に開設された日本における最初の官立病院。薬園では当時、114種類の薬草が栽培され、江戸の窮民のための治療に使われていた。 

火傷のようにただれた心を持つおとよは、赤ひげと保元の献身的な処置に、
次第に心を開いていく。


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